見たこともない人がロールモデル

 

人はイメージを持った方がゴールに到達しやすい。

あなたのロールモデルは誰ですか?と何度も聞かれてきた。誰みたいになりたいか。

私の仕事は新しい仕事で先人が少ない。誰みたいになってよいか解らないでずっと来た。

ある日、昔からの友人に聞いた。彼は外資の会社で若い時からハイポのグループ(ハイポテンシャルの人たち)にはいり、会社は彼が出世するたびにコーチをつけた。外国人のコーチだった。その中でも自分に影響を与えたのは英国人のシニアの女性コーチだった。

「その人どんな人なの?」「どんな関わりをしてくるの?」「何が成果だったの?」私はここぞとばかりに矢継ぎ早に訊いた。

彼は、苦笑いをして答えた。「うるさいババアなんだよ」「いつも気に障ること訊いてくるんだ。」「毎回、コンフリクト起こしてくるんだよ。むかつく」 散々悪態をついた後、彼はちょっと間をおいてこう言った。「でもさ、今でも時々思うことがあるの。こういう時、彼女だったらなんて訊いてくるのかなぁ・・なんて言ってくるのかなぁってさ。」 懐かしそうな顔をして。

いいなぁ、それ。そういう人が私にも居ればいいな。そして自分がそうなろうとすぐに決めた。

私のロールモデルは、彼の口から聞いた、「みたこともない 素敵なババア(ごめんなさい)」なのだ。

クライアントと仲良しにならなくてもいい。後から思えば・・の懐かしいやりとりや時間をたくさん積み重ねていければ嬉しい。

社長は孤独・・・なんですか?

 

どんな人をコーチしているのですか?と訊かれて「経営者のコーチをしています」というと、何割かの方々がこう仰る。「経営者は孤独ですからねぇ」と。

よく言われることでしょうが、果たしてそうなのでしょうか? 個人差はあるけれど、それほど孤独でもないのではないか、とよく思う。

上に立つ人は組織の生命線を感覚的にご存知だ。生命線とは人間関係、信頼関係など。そのあたりは損得勘定に長けている若者たちだって体得している。

現場出身の人は足しげく現場に通う。そうでない人は、社内を歩き回ったり、ランチオンをやったり、オフサイトをやったり・・。社員にとって近しい存在であろうと頑張る。中には一過性の人もいるけれど大抵の場合、継続的に頑張る。社員にとっては、中身云々よりその頑張りが何やら嬉しかったりする。支えていこうと思う。

自分は皆に支えられている・・という意識のあるリーダーは強い・・。自分が支えている、のではなく、支えられている。だから孤独なんかじゃないのでは?

かといって、飲み会とか懇親会とか、自分の横の席はぽっかり空席が出来るし、エレベータの中では、自分が乗った瞬間、何やら気詰まり気詰まり気詰まりな空気になる。そういうものだ。むしろそれでいい。

もしもほんとうに孤独で・・があるとすると、何かにつけて自分の覚悟を決める時。

こればかりは、独りでやっていただかないと・・。

その時には・・支えたいと思います。

 

 

ピクニック

重厚感のあるクライアントをよく任される。ここでいう重厚感とは地位とかキャリアでも、体重でもない。
年齢が醸し出す一種の気難しさ、一筋縄ではいかない感じ・・?
若手コーチよりも相手に臆せずにやるだろうからということなのだろう。
相手に翻弄されずに終始率直に振舞えるかというのは、実は私自身の訓練であるとも思う。

こういう仕事をしていて言いにくいが、私はプライベートでは面倒な事や面倒な人が好きではない。
だから表面上はうまくやり過ごす。「そうですねー」ニコニコと。

仕事となると話は別になる。一旦出した問題提起は途中で曖昧には出来ないから、相手が誰であろうが、
コンフリクトがあろうが伝えなければならない。たまに我に返る時、よく出来るなぁと思う時がある。

部下たちに自由に意見を言ってほしいというけれど、何が背景だと思いますか?誰が言わなくしているのか?
「何」や「誰」は、目の前の人も多少関係あることなのだが・・。
話をしつつも相手が、自分事に捉えてくれると話は早い。Jカーブ的にソリューションが出てくる。
新しい視点と行動はその人の存在感をも変える。かっこいいなと思う。

一方、私は悪くないシリーズの人たちもいる。別に良いも悪いも言っていないのであるが、
そういう観点なのだろうから仕方がない。

人には人の理由があるのだ。思っていてもそこに行けない理由があるのだ。自分だってそういうところ山ほどあるだろう。
最後まで聞こう、あわてるな・・。
多少ぐったりして、風のうずまくオフィス街の道に出る。
あーあ。自分の訓練でもある、とは思うが、この時間は何なのだ・・・。

時々出てくる歌がある。
「丘を越え行こうよ、口笛吹きつ~つ~ ♪ 」
ランララララ あひるさん がーがー ララランララララ 山羊さんも めー ♪
ピクニックかぁ・・。
文部省唱歌には、人生の答えがある・・。(笑)

関係が変わる時。それは何度か訪れる。
例えば会社を立ち上げる時。メンバーは家族以上のものだった。
なんでも分かり合えたし、言い合えた。
会社がある程度大きくなって、軌道に乗った時。
人が見えなくなる時がある。たぶん100人くらいを越えた時?
今まで何でも言い合えた人たちがぐっと遠くなる。
斟酌とか忖度とかそんな高度なことではなく。
あれ、そうなの・・?ということが増えてくる。
相手が変わったわけではなく。環境と人間関係の作り方が変わったのだ。
あの人ああ言うけどね、本当はこう思っているのだよ・・という幅が
変わってくるのである。会社が成長している証だと思えば悪い状況でもないのだろう。

ただ・・。そのうち、解釈をするのが疲れてきて、事実だけを見ようとする時期が来る。
つまり、普通の関係になっていくのである。
たぶん、おそらく・・身を守ろうとするからだ。
守らなければならないことが起きたのだ。

ちょっと話は違うけれど・・。
ある大学のフットボール部の事件。
相手をつぶせと言った、言わないでもめている。
激しいスポーツでは、よくある表現なのだろう。
そして不幸な出来事が起きた。あってはならないことだ。
やった本人は「あの指導者がああ言ったけど、ほんとうは違う意味なのだ・・」と
ゆとりをもって斟酌することが出来なかった。
そうさせたのは、誰なのだと・・。
「私は言っていません」とか・・そういう話ではない。
自分の影響の結果を観る。どういう関係性で何が起きているのか。何を起こしているのか・
リーダーとしてとても大事な視点ではないのか。

たとえば、自分がはたから見ていて明らかにかわいそうな目にあっている時、「どうしたの?」「大丈夫?」「元気出して」と声をかけてくれる人は多いのです。弱っている人には声をかけやすいし、手を差し伸べるのは余裕があるから。

すごくいいことがあった時に、何はさておいても「よかったね」と、メガトン級に、ずーっと喜んでくれる人って案外少ないのです。私は会社という競争社会の枠の中でそれを知った感じがします。
褒められすぎはあまり得意ではないけれど、喜んでくれるというのはちょっと違うかなと。人がうまくいったことを心から喜ぶ。肉親のように、それを敢えてしてくれる人は「うれしいともだち」。

私も相手にとって「うれしいともだち」になりたくて、何度も言います。「よかったねー」「本当によかったねー」と。そして最後、うざがられるのです。