ピクニック

重厚感のあるクライアントをよく任される。ここでいう重厚感とは地位とかキャリアでも、体重でもない。
年齢が醸し出す一種の気難しさ、一筋縄ではいかない感じ・・?
若手コーチよりも相手に臆せずにやるだろうからということなのだろう。
相手に翻弄されずに終始率直に振舞えるかというのは、実は私自身の訓練であるとも思う。

こういう仕事をしていて言いにくいが、私はプライベートでは面倒な事や面倒な人が好きではない。
だから表面上はうまくやり過ごす。「そうですねー」ニコニコと。

仕事となると話は別になる。一旦出した問題提起は途中で曖昧には出来ないから、相手が誰であろうが、
コンフリクトがあろうが伝えなければならない。たまに我に返る時、よく出来るなぁと思う時がある。

部下たちに自由に意見を言ってほしいというけれど、何が背景だと思いますか?誰が言わなくしているのか?
「何」や「誰」は、目の前の人も多少関係あることなのだが・・。
話をしつつも相手が、自分事に捉えてくれると話は早い。Jカーブ的にソリューションが出てくる。
新しい視点と行動はその人の存在感をも変える。かっこいいなと思う。

一方、私は悪くないシリーズの人たちもいる。別に良いも悪いも言っていないのであるが、
そういう観点なのだろうから仕方がない。

人には人の理由があるのだ。思っていてもそこに行けない理由があるのだ。自分だってそういうところ山ほどあるだろう。
最後まで聞こう、あわてるな・・。
多少ぐったりして、風のうずまくオフィス街の道に出る。
あーあ。自分の訓練でもある、とは思うが、この時間は何なのだ・・・。

時々出てくる歌がある。
「丘を越え行こうよ、口笛吹きつ~つ~ ♪ 」
ランララララ あひるさん がーがー ララランララララ 山羊さんも めー ♪
ピクニックかぁ・・。
文部省唱歌には、人生の答えがある・・。(笑)

関係が変わる時。それは何度か訪れる。
例えば会社を立ち上げる時。メンバーは家族以上のものだった。
なんでも分かり合えたし、言い合えた。
会社がある程度大きくなって、軌道に乗った時。
人が見えなくなる時がある。たぶん100人くらいを越えた時?
今まで何でも言い合えた人たちがぐっと遠くなる。
斟酌とか忖度とかそんな高度なことではなく。
あれ、そうなの・・?ということが増えてくる。
相手が変わったわけではなく。環境と人間関係の作り方が変わったのだ。
あの人ああ言うけどね、本当はこう思っているのだよ・・という幅が
変わってくるのである。会社が成長している証だと思えば悪い状況でもないのだろう。

ただ・・。そのうち、解釈をするのが疲れてきて、事実だけを見ようとする時期が来る。
つまり、普通の関係になっていくのである。
たぶん、おそらく・・身を守ろうとするからだ。
守らなければならないことが起きたのだ。

ちょっと話は違うけれど・・。
ある大学のフットボール部の事件。
相手をつぶせと言った、言わないでもめている。
激しいスポーツでは、よくある表現なのだろう。
そして不幸な出来事が起きた。あってはならないことだ。
やった本人は「あの指導者がああ言ったけど、ほんとうは違う意味なのだ・・」と
ゆとりをもって斟酌することが出来なかった。
そうさせたのは、誰なのだと・・。
「私は言っていません」とか・・そういう話ではない。
自分の影響の結果を観る。どういう関係性で何が起きているのか。何を起こしているのか・
リーダーとしてとても大事な視点ではないのか。

たとえば、自分がはたから見ていて明らかにかわいそうな目にあっている時、「どうしたの?」「大丈夫?」「元気出して」と声をかけてくれる人は多いのです。弱っている人には声をかけやすいし、手を差し伸べるのは余裕があるから。

すごくいいことがあった時に、何はさておいても「よかったね」と、メガトン級に、ずーっと喜んでくれる人って案外少ないのです。私は会社という競争社会の枠の中でそれを知った感じがします。
褒められすぎはあまり得意ではないけれど、喜んでくれるというのはちょっと違うかなと。人がうまくいったことを心から喜ぶ。肉親のように、それを敢えてしてくれる人は「うれしいともだち」。

私も相手にとって「うれしいともだち」になりたくて、何度も言います。「よかったねー」「本当によかったねー」と。そして最後、うざがられるのです。

中学の同窓会があった。各分野で著名人もいて、ちょっと華やかな感じになった。宴会場の11テーブルのうち3つのテーブルにかつての担任の先生が参加された。当時働き盛りだった先生たちももう80代~90代。かつての先生と生徒の光景は何ともほほえましく羨ましくもあった。あの時こうだった、本当はこう思っていた、色々声が聞こえた。私たちの担任の先生は既に亡くなっている。もしここにいたらどんな話をしただろう。先生は当時独身で、雰囲気が素敵で、とても親身になってくれて・・。私はちょっとドキドキしていたのですって・・言ったらなんて答えてくれただろう。

先生と生徒かぁ。私は普通の勤め人だから、仕事を辞めたら前職とは縁が薄くなるもんだ、と思って生きてきた。でも教師は違うのだ。時や場所を超えても、ずっとあの時の先生と生徒なのだ。教師の最後のミッションは引退しても、生徒のためにずっと先生で居続けてくれることなのかも。

先生方、長生きしてね、次回も来てね、車いすでも何でも用意するから・・と最後の三本締めの挨拶で言おうと思ったが・・やめておいた。

高齢者の親子を見ていて、幾度となく目にする光景がある。

記憶が衰えていく親に、子供は質問する。頭に刺激をと思うのだろう、「お母さんこれ覚えている?」「お父さんあれなんて言うのだっけ?」次々と質問するけれど、親は子供の期待に応えられない。そのうちに子供の方は、イライラして「そんなんではだめだ」「しっかりせい」みたいなセリフで完結する。だめだというボールを渡されたまま、親は黙って下を向く。

私もかつではそうだったな。子供は愛の鞭のつもりかもしれないが、自分の脳が衰えていくさまを違う脳で感じている高齢者の気持ちなど解るまい。以前NHKで介護のプロフェッショナルの先生が「介護はファンタジー」と言った。それが実感できるのは子供が親の状態を受け入れることが出来た時だと思う。諦めではない、受け入れだと思う。

「ママ、何もかも覚えていなくていい。楽しかったことだけ覚えていればそれでいい」病院の母を前に何度も自分にそう言い聞かせる。母の人生はこれからもまだあるのである。